注目のお祭り
関西の春の訪れを告げる行事としては
まず、3月12日深夜に行われる、燃え盛る松明をもって堂内を駆け抜ける火の祭典、奈良の東大寺 二月堂修二会 (お水取り)がよく知られています。
滋賀では、琵琶湖東岸に春を呼ぶ近江八幡市日牟禮八幡宮の左義長まつり、西岸近江舞子に春の訪れを告げる比良の例祭、比良八講など。
京都では嵯峨野に春を告げる、お釈迦さまが入滅された日に勤める涅槃会に合わせた、清凉寺の嵯峨お松明式、この日には嵯峨大念仏狂言の公演もあります。
大阪で春の訪れを告げる花には、桜や梅などがあり、桜の名所は何と言っても、造幣局 桜の通り抜けです。
兵庫県は、但馬に春到来を告げる豊岡市出石町の出石初午大祭と養父市のお走り祭りがあり
和歌山では梅や桜、湯浅町のシロウオまつりなどが春の訪れを告げる風物詩として知られています。
秋田県
昔、この地方で栄えたというダンブリ長者に由縁のある大日堂で、年の始めに行なわれる大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)
は、各集落から氏子の能衆が集まって、田楽や能などの芸能を奉納する行事です。祭りは、各集落ごとの、早朝の舞に始まり、やがて行列を整えて各所から大日堂に集まり、宝物殿前の舞台で7種類の舞を奉納します。この祭りはユネスコ無形文化遺産にも登録されています。
5月の終わり、にかほ市象潟町小滝地区に伝わる小滝のチョウクライロ舞は国の重要無形民俗文化財に指定され、金峰神社祭礼におこなわれる延年の舞です。境内にはチョウクライロ山という土舞台があり、この舞台でしか舞うことができないものとされてきた。チョウクライロとは「長(ちょう)久(く)生(ら)容(いろ)」からきていて、長く久しく生きる容(すがた)の意味で延命長寿を祈って演じられる舞とされます。
千葉県
野田の津久舞は、須賀(すが)神社の祭礼に奉納される芸能で、先端に一斗樽をかぶせた、高さ14.5メートルの白木綿で巻かれた柱を立てて、「ジュウジロウサン」と呼ばれる白装束に雨蛙(あまがえる)の面を被った演者が、柱や樽の上、柱から張った綱の上などで軽業を演じるものです。柱を上下するのは、竜が蛙を呑み込む様を表しているとされ、雨乞いの意味をもつと考えられています。
東京都
厳正寺 水止舞は、雨が止むことを祈願して三匹獅子舞が舞われる。雨乞いのため踊られる獅子舞は多いが、水止めを祈願するのは珍しいことです。寺伝では、永享元年(1429年)、武蔵国一帯が大旱魃になった時、厳正寺二世法密上人が祈祷して雨が降ったが、翌々年には長雨となって洪水の被害が出た。そこで上人は三匹の龍頭の獅子を作って農民に舞わせたところ、たちまち雨が止んだ。そしてこれが水止舞として伝承されるようになりました。
日の出町下平井地区の春日神社で奉納される下平井の鳳凰の舞は、高張提灯(たかはりちょうちん)を先頭に行列をつくって舞場へと向かい、はじめに奴姿の子供たちが、それぞれ歌舞伎を思わせる長台詞(ながぜりふ)を披露してから舞場に入って踊る奴の舞のつぎに、鳳凰の冠をつけた鳳凰役・小太鼓役のほか、軍配役などが大太鼓を中心に輪になって、大きな円を描いたりする、全身を使って勇壮活発に踊る鳳凰の舞を演じます。
新潟県
4月 糸魚川の天津神社の糸魚川けんか祭りは2つの神輿がぶつかり合う祭りです。2つの神輿は寺町区と押上区が対抗する形で10回程ぶつかり合いを繰り返し、100人以上の若い衆の力と力の競り合いに大きな歓声が上がります。神輿の競り合いが済んだ後、境内の石舞台で天津神社舞楽が行われます。十二番の曲目があるが、能や風流出現以前の舞楽を伝えており、稚児舞としても多くの曲が舞われます。
糸魚川市根知地区の日吉神社で行われている祭礼で、「根知山寺の延年」やおててこ舞と呼ばれています。毎年8月31日の夜の宵祭と、翌朝からの本祭とがあります。この祭りで奉納される舞は神仏習合を色濃く残す県内唯一の延年芸能です。風流(初期の歌舞伎踊)と稚児舞楽を中心に神楽・万才・獅子舞の類が加えられた10曲で構成され、舞の由来や起源は明らかではありませんが、歌詞の中に室町小歌に見られるような言葉や使い方があり、京都の流れを汲み400年から500年前から伝わるものと考えられています。
9月 綾子舞は、柏崎市女谷(おなだに)に約500年前から伝わる古典芸能で、女谷の黒姫神社の祭礼の時に演じられる。女性が踊る「小歌踊」と男性が演じる「囃子舞」と「狂言」の三種類の芸能から成なり立っており、綾子舞はその総称です。初期の歌舞伎踊りの姿や形をよく残している貴重な民俗芸能です。今では高原田(たかんだ)と下野(しもの)の2つの集落にある座元が、先祖伝来の芸能を誇りにし、情熱を燃やして受け継いでいます。
山梨県
4月 天津司の舞(てんづしのまい)は小瀬町にある天津司神社に古くから伝わる日本最古の人形芝居とも言われる伝統芸能で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。等身大で出来た9体の木造人形で田楽舞を演じる特異な舞です。
富山県
富山市婦中町の熊野神社の秋祭りに熊野神社の稚児舞が演じられます。舞人は大稚児二人、小稚児二人で、太鼓と笛の囃子で舞い演目は七曲あります。この稚児舞は京都の加茂神社から伝えられとも同じ京都の吉田神社からともいわれている。こちらでは「かっとんど」という俗称で親しまれているが、これは稚児舞の曲譜からでたもので、演奏の太鼓が「カットンド、カットンド」と聞こえるからです。
福井県
4月 隔年に行われる糸崎の仏舞は、大陸から渡来した奈良時代の舞楽を今に伝える貴重な伝統芸能です。仏面を着けた8人の舞仏と2人念菩薩が、白い童子の面を着けた角守りと呼ばれる2人の幼児に見守られ、太鼓と鉦に合わせて舞うもので、菩薩や天女の喜びの舞である、ゆっくりとした舞ぶりは舞楽の演目を感じさせるものです。
愛知県
11月から3月にかけて奥三河を中心に各地区で開催される花祭は、悪霊を払い除け、神人和合、五穀豊穣、無病息災を祈る目的で鎌倉時代から約700年以上かけて代々親から子、子から孫へと大切に伝承されてきた神事です。太鼓と笛が奏でる拍子と囃子声にのせて、およそ40種類にもおよぶ舞が夜を徹して行われ、町外からもたくさんのファンが訪れ舞手と一体となって「て~ほへ、てほへ」の掛け声とともに全員で盛り上がります。花祭の起源は確かではないが平安時代に最盛期を迎えた吉野・熊野の修験道が奥三河に暮らす人々に影響をもたらしたと言われています。
京都府
青葉山の中腹にある松尾寺は、中国から渡来した唐の僧・威光上人が青葉山の山中で馬頭観音を感得して、和銅元年(708年)に草庵を結んで馬頭観音像を安置したのが起こりと伝えられている。松尾寺の仏舞は本堂内の舞台で、頭部がすっぽり入る大日如来、釈迦如来、阿弥如来の光背のついた金色の仏面をそれぞれ2人ずつ6人の舞人がかぶり、竜笛・ひちりき・羯鼓・太鼓の伴奏で、越天楽の曲に合わせて典雅な舞を繰り返すものです。
大阪府
4月 四天王寺では聖徳太子の御忌(おんき:亡くなった日)に聖霊会(しょうりょうえ)が行われます。四隅に大きな赤い曼殊沙華(まんじゅしゃげ)を飾った石舞台では、1000年以上前の王朝時代の舞楽の姿が連綿と受け継がれてきた天王寺舞楽の数々が舞われます。
島根県
7月 鷺舞神事(さぎまいしんじ)に舞われる鷺舞は、中世の頃、京都祇園八坂神社の鷺舞を山口の大内氏が取り入れ、さらにこれを、津和野藩城主が取り込んだもので、雌雄の白鷺が羽を広げて舞う姿はまことに優雅で、山陰の小京都と呼ばれる津和野にふさわしい舞です。
福岡県
筑後市の水田天満宮 稚児風流は、稚児が太鼓を打つ芸能で、頭屋制度で伝承されています。稚児は十数名で構成され、稚児の最年長者二人が大太鼓を交替で打ち、これに合わせて他の稚児たちは腰太鼓と鉦を叩く。稚児が無心で演じるのがとても愛らしい、五穀豊穣を祈願する神事です。