注目のお祭り
節分が終わるころに雛まつりが始まります。期間は長いもので2月上旬から3月下旬まで開催されます。
ビッグな雛まつりとしては、茨城県大子町の百段階段でひなまつり、埼玉県鴻巣市の鴻巣(こうのす)びっくりひな祭り、千葉県勝浦市のかつうらビッグひな祭り、静岡県袋井市の可睡斎ひなまつり、兵庫県小野市のビッグひなまつりなどがあります。
子どもの無病息災を願い、和紙や草木で作った雛人形を川や海に流す、流し雛の行事は、東京都台東区の江戸流しびな、京都市下鴨神社の流し雛、和歌山市淡嶋神社の雛流し、鳥取市のもちがせ流しびな、福岡県福津市 宮地嶽神社の流し雛神事など。
また、変わったひな祭りとして、宮城県白石市 弥治郎こけし村の雛の宴展のこけし雛、静岡県東伊豆町の雛のつるし飾りまつり、愛知県瀬戸市の陶器雛 陶のまち瀬戸のお雛めぐり、滋賀県長浜市の黒壁ガラスの雛まつりなどがあります。
滋賀県
12月 太郎坊宮お火焚大祭は、除災招福の神として知られる太郎坊宮(阿賀神社)の火祭りで、毎年12月第1日曜日に行われます。当日までに、全国の信者の住所・氏名とそれぞれの願い事が書かれた10万本の護摩の奉納があり、これを境内に高く積み上げ火をつけます。点火するのは山伏の代表者1人で、正午過ぎに火がつけられ、午後4時過ぎまで燃え続けます。この火の霊力で罪汚れを払い、家内安全・無病息災なども併せて願います。火の勢いが弱まってくると、山伏たちが裸足で次々と火渡りを披露し、山伏問答・法剣の儀といった神事も行われます。神道護摩としては、日本随一の規模を誇るといわれています。
京都府
嵯峨お松明式は清涼寺(釈迦堂)境内で行われる柱松行事です。お松明式はお釈迦様が荼毘に付される様子を再現した行事で、高さ7メートルの三基の松明が立てられ、それぞれを早稲、中稲、晩稲に見立て、その火勢によって、その年の農作物の豊凶を占います。涅槃会(ねはんえ)と嵯峨大念仏狂言も行われます。
左京区の由岐神社で行われる鞍馬の火祭の青年たちが燃えさかる大松明を担いで「サイレイ、サイリョウ」を繰り返して囃しながら集落を練り歩く様子や、「神輿落とし」と称する神輿が石段を駆け下りる姿が炎に浮かび上がる様は壮観で、人気のある祭りです。
伏見稲荷大社 火焚祭は五穀豊穣を祈願し、春の田植えの時に山から迎えた稲荷大神を、秋の収穫の後、感謝して再び炎とともに山に送るために、三基の火床を設け神田で採れた稲のわらを燃やし、信者等から奉納された火焚串(願い事、名前、年齢が書かれた幅約2センチ、長さ約25センチの串)を焚き上げ、宮司以下神職をはじめ参列者一同が大祓詞を奉唱して、罪障消滅・万福招来を祈願します。 夕刻には本殿前庭上で雅楽の調べに乗せた古雅な御神楽が行われます。
大阪府
火伏せの神事である池田市の伝統行事ががんがら火です。五月山に点火する「大」と「大一」の火文字と長さ4メートル重さ100キロもある大松明の市内巡行です。日の暮れた市内に煌々と燃える炎が熱く美しく見物客を沸かせます。
奈良県
大神神社のご神火祭り(繞道祭)と呼ばれているこの祭は1月1日の午前零時、宮司が神前で火打ちのウスと火打ちのキネできり出した清浄な神火を起こし、神火はやがて大松明に移され、この浄火を御神火といい、氏子らが持参した火縄に移して各家に持ち帰り、神棚の献灯と炊事などの火種とします。また、燃えさかる大松明は、三輪山麓の末社十八社を巡り、壮大な火祭り絵巻が奈良盆地の暗の中に展開されます。
若草山焼きは古都奈良に早春を告げる伝統行事です。若草山に広がる炎が、澄み切った冬の夜空を真っ赤に染め上げる様子は壮観です。さまざまなイベントや式典、祭典なども催され、山焼き直前には、色とりどりの花火も打ち上げられます。
3月の東大寺二月堂修二会 (お水取り)のシンボルのような行事「お松明」は、「練行衆」が大松明を捧げて内陣を練りまわり、礼堂に突き出し、床板に投げつける。火の粉は飛び散り炎は天井近くまで燃えさかる。金剛鈴が鳴り、錫杖が振られ、法螺貝が吹き鳴らされ、堂内は修羅場と化す、全く壮絶な荒行です。
夏の火祭りには、橿原市の東坊城のホーランヤがあります。圧倒的な大きさの松明が登場する松明行事で、厄払いの祭りと伝えられているが、行われる時期からすると、いわゆる盆の迎え火、送り火が変化したものともいえます。大松明は大きいもので高さ約3メートル、直径約1.3メートルで約450キログラムあり、担ぎ棒で支えて、30から40人で担がないと運べない大きさです。
和歌山県
1月 串本町の潮岬望楼で開催される本州最南端の火祭りは、日没に芝生に火が放たれる芝焼きをはじめ、地元の民謡串本節や潮岬節の歌と踊りがあり盛り上がります。
熊野速玉大社の摂社、神倉神社の御神体は「ことひき岩」と呼ばれる巨大な一枚岩で、この岩を舞台にして2月に御燈祭りがおこなわれる。祭典が済み、白装束の男たちが千数百本の燃え盛るたいまつを持って石段を駆け降りると、あたりは一面火の海になる。火に対する古代信仰をさそう勇壮な火祭りです。
7月 熊野那智大社の大祭那智の扇祭り(火祭り)の「扇祭り」と称せられるのは独自の扇神輿の渡御行列があるからです。この祭りの一番の見どころは那智の滝の前で繰り広げられる神事。参道を清めるため、白装束の男たちが燃えさかる大松明を抱え「ハリヤ、ハリヤ」と大声をかけ合いながら石段を下ったり、上ったりする、大松明が乱舞する熱気と迫力が強烈です。
広島県
12月 鎮火祭は、大晦日に御笠浜で繰り広げられる、勇壮な火難除けの祭りである。厳島神社での神事の後、嚴島神社の斎火で松明をともし、その後に小松明にも火を点けていく。境内が大小100余りの松明で参道の御笠浜は火の海となり、参拝者の中を火の粉が飛び交う有様は誠に壮観です。参加者は燃え残った松明の一部をそれぞれ自宅に持ち帰り、神棚にお供えして、1年間の火難避けの護符にします。
愛媛県
内子町寺村の寺村山の神火祭りは、夏の夜の神迎えの行事で、当番制で伝承されてきました。六角山に祭壇を設け、麓の畦道に灯芯をつけた棒を立て、夕刻になるとこれに火をつける。その火の中で山際に「山ノ神」の火文字が燃え上がる。本来は神迎えの祭りですが、百八灯の念仏行事も習合され、今は八月の盆行事としておこなわれています。
福岡県
境内の灯りが一斉に消され真の闇となるなかで、日本一といわれる大松明6本が紅蓮の炎を上げて燃え盛り、それを数百人の裸の氏子若衆がカリマタで支えて境内を廻るという大善寺玉垂宮 鬼夜は、鐘・太鼓が乱打され境内が火の海になる、熱気あふれる勇敢な年頭の祭りです。大松明は直径1メートル余り、全長約13メートル、重さ約1.2トンもあります。この大松明の火の粉を浴びると無病息災と云われ、五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願される人々で賑わいます。
長崎県
3月 雲仙市の観櫻火宴は、桜の季節に開催される日本一のたいまつ武者行列です。総勢200名の武者たちが、松明を片手に桜咲き誇る橘公園を練り歩く、県内最大の火祭りで、肥前龍造寺軍の千々石(ちぢわ)攻略の史実を基に再現される勇壮かつ幽玄な歴史絵巻を再現しています。
熊本県
3月 阿蘇市にある阿蘇神社の火振り神事は阿蘇地方の五穀豊穣を祈る田作り祭の中で、姫神と国龍神の結婚を祝う儀式です。樫でくるまれたご神体が到着すると、茅の松明に火をつけ振り回します。炎の輪がいくつも重なり合い夜の神殿に浮かび上がります。火振り神事が終わると、阿蘇はいよいよ本格的な春を迎えます。
小天天子宮(小天神社)では、焚火の炭の中を素足で駆け抜ける火渡り神事が行われます。天子宮の創建は、和銅6年(713年)で、肥後国司道君首名(みちのきみのおびとな)によるものとわれています。首名が肥後国に下向したとき、疫病が流行していました。その病気平癒を願った首名が忌屋を造り祈願を行い、それによって疫病は治まったが、本当に治まっているかを知るために、火渡りを3度行いやけどを負わなかったという故事にならったものであり、約1300年の歴史があるといわれています。
大分県
臼杵石仏火まつりは、磨崖仏の規模と数、彫刻の質の高さで日本を代表する石仏として国宝にも指定されている臼杵石仏群の、その参道などに約千本の松明をつける盛大な火祭りであり、石仏が松明やかがり火で照らし出される姿は荘厳です。昭和三十四年から地蔵祭りを発展させてはじめられたが、今では地元にも親しまれている行事で、当日は盆踊りなどのイベントも予定されています。
鹿児島県
旧暦の5月28日、曽我どんの傘焼きは鎌倉時代に源頼朝の富士の巻き狩りを期し、曽我十郎・五郎の兄弟が傘を焼いて松明とし、父河津三郎の敵、工藤祐経の狩屋に忍び込んで首尾よく本懐を遂げたという故事に因んだ行事です。昔、薩摩では「郷中教育」という独特の教育制度があり、子供達は「郷」ごとに集まり、身体を鍛え勉学に励んだ。その教育の一環として、親への孝を教える「曽我兄弟の話」が用いられたのです。