沖縄県は南方の文化を受け入れる玄関口の位置にあり、琉球王朝と中国との交渉の歴史もあって、中国を中心とするアジア大陸の文化も移入された。この混交の中から沖縄の独自の文化が形成されているようですが、日本本土の文化も流れ込んでいるので、沖縄には多種の文化の影響が色濃く反映しています。
競技によって占いをする祭礼行事にはさまざまのものがありますが、島国の沖縄の各地には5月頃、ハーリー(爬龍船)といわれる舟漕競争があります。このハーリーには那覇型と呼ばれる娯楽を主としたハーリー、農耕儀礼の中で行われるハーリーと、他に農耕儀礼と那覇型の娯楽性を合体させた豊漁儀礼のハーリーがあるようです。娯楽性のハーリーとして那覇ハーリーはゴールデンウィークの間に那覇新港埠頭で行われる。船体の先に竜頭、船尾に竜尾の彫り物が飾られた大型の爬竜船を使うのが特徴で漕ぎ手32名、鐘打ち2名、舵取り2名、旗持ち他6名と乗組員が42名にもなります。一方豊漁儀礼のハーリーとしては、糸満ハーレーが知られています。糸満では「ハーリー」を「ハーレー」と呼んで他所のハーリーと区別するほどに誇りを持っています。競漕は古い時代の集落である西村、中村、新島の3つのムラに分かれて、ムラ対抗で行われている。それぞれのハーレー舟には、12名(漕ぎ手10名、舵取り1名、鉦打ち1名、御願バーレーはデーフィが1名加わって13名)が乗り込み、各ムラの名誉のために覇を競い合うのです。
「エイサー」はあの世からの祖霊の集団と考えられ、在来からあった「エサオモロ」という集団舞踊に念仏踊りの影響が加わったものといわれています。8月に行われる沖縄全島エイサーまつりは1956年の「コザ市誕生」を機にスタートし、今では沖縄の夏の風物詩になるほどで、沖縄全島から選び抜かれた青年会やエイサー保存会、創作エイサー、子どもエイサーなど様々なエイサーが披露され、会場に鳴り響く唄三線、太鼓のリズムの迫力を存分に堪能出来る沖縄県内最大のエイサーまつりです。
種取りは種まき行事のことで、「種子取祭」は八重山諸島の各集落で行われていた稲作に伴う祭礼行事です。旧暦9月に行われる竹富町の種子取祭には各種の芸能が奉納されますが、奉納芸能は大きく舞踊(ブドゥイ)と狂言(キョンギン)とに、分けることができます。華やかな舞踊は女性の担当であり、勇壮また時にはひょうきんな狂言は男性の担当です。踊りと狂言には竹富島で生まれたものと、八重山の島々から取り入れたもの、さらには沖縄本島や本土から入って来たものなど、様々な種類のものがあります。
パーントゥは宮古島で行われている悪霊払いの行事で、旧暦9月の上旬に開催されます。地区から3人の青年がパーントゥに選ばれ、仮面をかぶってシイノキカズラというツル植物を纏い、さらに全身に泥を塗ります。この泥は「ンマリガー(産まれ泉)」と呼ばれる特別な泉から採取する神聖な泥です。祭り中は、このような出で立ちをした3体のパーントゥが町中を練り歩きます。
東西分かれた世界一のわら綱を約15000人の参加者で引き合う、10月の那覇大綱挽まつりは綱引きでその年の吉兆を占う沖縄県の風習から生まれたこのお祭りは、琉球王朝時代から続いているといわれます。全長は200メートル、総重量は約40トンもあり、鉦子(しょうぐ)の音と共にスタートし、「ハーイヤ」のかけ声を響かせながら勝敗を争う大綱挽きの迫力に目が離せません。
組踊は、せりふと沖縄の伝統的な音楽と舞踊、舞踊を基礎とした所作で展開される歌舞劇です。琉球王国の時代、中国皇帝から派遣される冊封使を歓待するために創作されたのがはじまりで、1719年に首里城で初演されました。演じ手の洗練された動きや演劇としての筋の展開とともに、三線(さんしん)を弾きながら歌う歌三線の音楽が重要で、登場人物の心情を切々と歌いあげます。また演じ手のせりふは「唱え(となえ)」とよばれ、独特の抑揚をもって唱えられます。
沖縄県の花は デイゴ
沖縄県の鳥は ノグチゲラ
沖縄県の木は リュウキュウマツ
沖縄県の魚は タカサゴ
沖縄県の蝶は オオゴマダラ
(沖縄県の公式ホームページ)