お祭りりんく ユネスコ 無形文化遺産(個別)

   注目のお祭り

12月の民俗行事として、大晦日の夜に行われる秋田県の男鹿のナマハゲは有名です。ユネスコ無形文化遺産「来訪神:仮面・仮装の神々」にも認定されています。
「来訪神」とは、正月やお盆など、一年の節目に人間の世界を訪れ、怠け者を戒めたり、魔を祓い幸福をもたらしたりするとされる神々を指し、地域によってその仮面と仮装はさまざまです。
「来訪神:仮面・仮装の神々」に認定されている民俗行事
12月  甑島のトシドン(鹿児島県薩摩川内市)
12月  男鹿のナマハゲ(秋田県男鹿市)
 1月  能登のアマメハギ(石川県輪島市・能登町) 
旧暦9月 宮古島のパーントゥ(沖縄県宮古島市)※上野野原地区 旧暦12月下旬
 1月  遊佐の小正月行事(山形県遊佐町)
 2月  米川の水かぶり(宮城県登米市)
 2月  見島のカセドリ(佐賀県佐賀市)
 1月  吉浜のスネカ(岩手県大船渡市)
旧暦8月 薩摩硫黄島のメンドン(鹿児島県三島村)
旧暦7月 悪石島のボゼ(鹿児島県十島村)


都道府県開催日開催地お祭りYouTubeWikipedia
北海道阿寒湖アイヌシアターイコロ 毎日釧路市アイヌ古式舞踊
アイヌ古式舞踊
アイヌ文化
岩手県毎月第2日曜日花巻市早池峰神楽
岳神楽「諷誦の舞」
早池峰神楽
宮城県旧暦1月15日仙台市太白区秋保の田植踊秋保の田植踊保存会
秋保の田植踊
秋田県1月2日鹿角市大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)
大日堂舞楽大日堂舞楽
石川県12月5日能登町あえのこと
あえのことアエノコト
奈良県10月12日奈良市題目立(だいもくたて)
題目立
題目立
和歌山県7月14日那智勝浦町那智の田楽
那智の田楽那智の田楽
島根県9月24日松江市佐陀神能 (さだしんのう)
しまね伝統芸能祭 佐陀神能
佐陀神能
広島県6月第1日曜日北広島町壬生の花田植え
壬生の花田植え壬生の花田植
沖縄県国立劇場おきなわ浦添市組踊
組踊の世界
組踊

岩手県 

霊峰早池峰山に抱かれながら、地域で大切に受け継がれてきた伝統の舞、早池峰神楽は大償(おおつぐない)と岳(たけ)の2つの神楽座の総称です。「岳神楽」は早池峰神社の門前に住んでいた岳の集落が伝える、早池峰神社へ奉納される神楽です。山の神の面が口を閉じた「吽」の形をしており、五拍子で勇壮であると言われています。「大償神楽」は早池峰山開山の祖である田中兵部が建立したといわれる大償神社の周辺の人が伝える神楽です。山の神の面が口を開けた「阿」の形になっており、七拍子で優雅に見えると言われています。演目は、始めに式舞(鳥舞、翁舞、三番叟、八幡舞、山の神、岩戸開き)を舞い、その後、神舞、女舞、荒舞、番楽舞、狂言などを舞い、最後には権現舞を舞ってしめます。

宮城県 

年の初めに稲の豊作を予め祝うことで、その年の豊作を願う芸能、秋保の田植踊は秋保地区の馬場・長袋(ながふくろ)・湯元の3地区に伝わる田植踊の総称です。踊り手は、華やかな花笠をかぶった早乙女を女子、道化役で口上役でもある弥十郎を男子、そして鈴振りを年少の男子がつとめ、稲作の様子を美しく振り付けた踊りを次々と踊ります。また、田植踊のほか数曲の余興踊も伝わります。

秋田県 

昔、この地方で栄えたというダンブリ長者に由縁のある大日堂で、年の始めに行なわれる大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)
は、各集落から氏子の能衆が集まって、田楽や能などの芸能を奉納する行事です。祭りは、各集落ごとの、早朝の舞に始まり、やがて行列を整えて各所から大日堂に集まり、宝物殿前の舞台で7種類の舞を奉納します。この祭りはユネスコ無形文化遺産にも登録されています。

島根県 

松江市鹿島町の佐太神社の祭礼の一つに、9月24日の夜の御座替 (ござがえ) 神事がある。この時に七座の神事といわれる面をつけない直面(ひためん) の採り物神楽が舞われる。これに式三番と神能を加えたものが佐陀神能です。この種の神楽が伝播して各地に伝承されているものを出雲神楽といいます。

広島県 

中国山地の村々で古くから行われてきた囃子を伴う共同の田植行事で、音頭に合わせ大太鼓や小太鼓・笛や手打鉦で囃し、早乙女が田植歌を歌いながら植えていきます。無病息災と豊穣を願う農耕儀礼であると共に、重労働である作業を手早く楽しくこなすための工夫であったとされ、やがて大勢の人々を集め、代掻き牛は造花で飾った花鞍をのせ、早乙女らは着飾って、一層華やかになりました。その様子から「花田植」の名が付いたと言われています。壬生の花田植えは現在西日本に残る花田植としては、最大の規模を誇ります。

沖縄県 

組踊は、せりふと沖縄の伝統的な音楽と舞踊、舞踊を基礎とした所作で展開される歌舞劇です。琉球王国の時代、中国皇帝から派遣される冊封使を歓待するために創作されたのがはじまりで、1719年に首里城で初演されました。演じ手の洗練された動きや演劇としての筋の展開とともに、三線(さんしん)を弾きながら歌う歌三線の音楽が重要で、登場人物の心情を切々と歌いあげます。また演じ手のせりふは「唱え(となえ)」とよばれ、独特の抑揚をもって唱えられます。

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