
川渡り神幸祭
「写真提供:福岡県観光連盟」

小倉祗園太鼓

戸畑祇園大山笠
福岡県は、かって、筑前、筑後、豊前の三国から成り立っていました。平野と山地がモザイクのように組み合わされた地形ですが、九州の北端に位置するために本州と九州をつなぐ基点となり、朝鮮半島や中国大陸との距離も近く、早くから海外との交流が行われてきました。特に博多は昔から日宋貿易や日明貿易で栄え、九州一帯の中心地としてではなく、日本有数の町として繁栄しています。
1月 正月の玉取祭/玉せせり 筥崎宮は祭事で祓い清められた陰陽2つの木玉のうち、陽の玉を裸に締め込み姿の競り子達に手渡され祭典が始まります。この玉に触れると悪事災難を逃れ幸運を授かるといわれており、男衆が勢い水を浴びながら、陽の玉をめぐって激しい争奪戦を繰り広げます。陸側と浜側に分かれた玉の争奪戦は、一年の吉凶を占う意味合いもあり陸側が玉をあげれば豊作、浜側があげれば豊漁といわれています。
境内の灯りが一斉に消され真の闇となるなかで、日本一といわれる大松明6本が紅蓮の炎を上げて燃え盛り、それを数百人の裸の氏子若衆がカリマタで支えて境内を廻るという大善寺玉垂宮 鬼夜は、鐘・太鼓が乱打され境内が火の海になる、熱気あふれる勇敢な年頭の祭りです。大松明は直径1メートル余り、全長約13メートル、重さ約1.2トンもあります。この大松明の火の粉を浴びると無病息災と云われ、五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願される人々で賑わいます。
太宰府天満宮 鷽替え・鬼すべ神事は、まず、「鷽替え神事」が行われます。参加者が「替えましょ、替えましょ」の掛け声のもと、暗闇の中で手にした木彫りの「ウソ」をお互いに交換し取り替え、一年間の幸福を祈念します。「鬼すべ神事」はその年の災難消除や開運招福を願い、境内の鬼すべ堂にて火祭りが行われます。およそ300人が鬼を退治する「燻手すべて」と鬼を守る「鬼警固」、「鬼係」に分かれ、炎の攻防戦を繰り広げます。
旧暦元旦 和布刈神事は神功皇后が三韓征伐からの凱旋を祝って、早鞆の瀬戸のワカメを神前にささげたという古事に由来しています。神職が干潮の海に降りて鎌でワカメを刈りとり、それを神前に供えて航海の安全、豊漁を祈願します。真っ暗な中を烏帽子、狩衣、白足袋に草履姿の神職たちが、松明を頼りにワカメを刈りとる様子は幻想的で、関門海峡両岸の人々に春の訪れが近いことを感じさせてくれます。
3月に朝倉市の阿蘇神社で行われる泥打祭りは「おみくじ」で決定したその年の代宮司が純白の神衣に着替え、道祖神まで歩いて行く間、氏子が土でこねられた泥をとって一斉に代宮司に投げつけます。代宮司の体に泥がつくほど、その年は豊作であるといわれています。
5月 博多どんたくは、今では、動員数は200万人を越える一種のカー二バル的にさまざまな踊りがパレードする祭りとなっていますが、元は四福神と稚児で構成され、豪華な傘鉾の下で謡曲調の言い立てを唱えて練る「博多の松ばやし」が起源とされます。また「どんたく」はオランダ語から名づけられたとも言われています。
平家滅亡の折、按察使伊勢局がこの地に逃れて、安徳天皇の御霊を奉祀したと伝えられる水天宮の、水天宮春大祭は3日に献茶祭、3日から4日にかけて御座船の一般乗船があり、5日には青年達が揃いのはっぴ姿で筑後川で禊祓を行い、筑後川から潮井を汲んでご神前に供え祈願する「潮井行事」や御座船に御神輿が設置され、浦安の舞が披露される「神幸祭」があります。
田川市にある風治八幡宮の川渡り神幸祭は神輿と幟山笠が彦山川を渡る祭りです。神輿と共に川を渡る幟山笠は十基前後もありバレンを立て、赤い旗指物で飾られた幟山笠が次々と清流を渡って行く様は、勇壮にして豪壮な神事です。
7月 おおむた大蛇山まつりの主役である「大蛇山」の起源は300年以上も昔、蛇や龍を水の神の象徴とする水神信仰と、悪病よけの神の祇園信仰が絡み合い、生まれたとされています。かっと目を見開き、裂けるように開いた口から七色の火花を吐く、長さ10メートル以上もある「大蛇山」の山車が、街中の大通りを練り歩きます。この大蛇に子どもをかんでもらうと無病息災になるとも言われています。
博多祇園山笠は博多に夏の訪れを告げる櫛田神社の夏祭りです。クライマックスの追い山笠は早朝に太鼓を合図にスタート。法被に締め込み姿の男たちが、重さ1トンの舁き山(かきやま)を担いで、「オイサー」の掛け声とともに博多の街を駆け抜けます。若者たちの発散するエネルギーが祭りの雰囲気を見事に盛り上げる日本の夏祭りの代表的な祭りです。
北九州市小倉北区の小倉祇園太鼓は、太鼓祇園として知られるが、「無法松の一生」という小説と映画で一躍有名になった。江戸時代には、山鉾、踊り屋台、人形山車などが出て大変な賑わいを見せたが、幕末の長州戦争で屋台や山車は焼失してしまい、太鼓を中心とする祭りになった。残った山鉾を曳いたりするが、いまは太鼓山車の数が増え太鼓祇園として人気を呼んでいます。
北九州市八幡西区の黒崎祇園山笠は「けんか山笠」と称される山笠同士をぶつけ合う勇壮な祭りですが、祭りの幕開けとなる「お汐井取り」の行事に、二本の笠を立てた笹山笠が出るのが、山笠の古型を示すもので貴重です。このほか前夜祭では八基の武者人形山笠が駅前通りを走り、祭礼日には御神幸のお供をしたあと、町内を練ります。
北九州市の戸畑祇園大山笠は悪疫退散の祈願から始まった祭りで、四基の古式豊かな大山笠(幟山笠)が夜になると飾り物を外し、約10メートル、309個の提灯に彩られた提灯大山笠に姿を変えます。この提灯山笠を数百人の担ぎ手が交代で担ぎますが、前後左右のバランスを保ち、鉦や太鼓のお囃子に合わせ、 ヨイトサヨイトサの掛け声と共に歩調を合わせ進む様は圧巻です。
7月末 行橋市元水の今井祇園は、巨大な山車は一台ですが、鎌倉時代からの「連歌奉納」が続けられていることと、「八撥神事」が行われているのが特色です。稚児を選んで神格化させ、男神、女神に扮装させて神社に参拝させる行事です。
賑やかな渡御行列の出る祭りは秋に多い。9月 太宰府市の太宰府天満宮 神幸式大祭は古い伝承を残す祭りですが、「お下りの儀」と「お上りの儀」の行列が圧巻で、平安時代の王朝絵巻を再現する華麗な行列が人目をひきます。また、神輿還御の後の本殿では稚児がササラの舞と扇の舞を奉納します。最終日の千灯明は、水面にろうそくの灯りが映り幻想的な風景です。
10月 筑後市の水田天満宮 稚児風流は、稚児が太鼓を打つ芸能で、頭屋制度で伝承されています。稚児は十数名で構成され、稚児の最年長者二人が大太鼓を交替で打ち、これに合わせて他の稚児たちは腰太鼓と鉦を叩く。稚児が無心で演じるのがとても愛らしい、五穀豊穣を祈願する神事です。



福岡県の花はうめ
福岡県の鳥はうぐいす
福岡県の木はつつじ