
浜降祭
神奈川県は、中世には武家階級の抬頭を機とする源頼朝の鎌倉幕府が開かれ、歴史の上にも鎌倉時代という区分を生んでいます。また、江戸の開府で上方から江戸に通じる東海道は交通の中心となり、その街道を通じて運ばれた東西の文化が相模の地、神奈川県に幾重にも重なって伝えられ、それが今の神奈川県の祭りにも出ています。
1月 三浦市三崎の下町、花暮と仲崎地区の少女たちが踊るチャッキラコは風流踊りです。晴れ着を身に着けた少女の踊り手は、まず本宮様の前で踊り、海南神社で踊ったあと、町内の招かれた家に行き踊ります。「チャッキラコ」とは、踊りの中の一曲に「コキリコ(綾竹)」を用いて踊る踊りがあり、その打ち合わせる音からでています。唄は主婦たちが唄うが楽器は用いない。あどけない踊り振りの中に古風な美しさが潜んでいます。
百万遍念仏は円座になった男女が念仏を唱えながら大珠の数珠を手で繰ってまわすものです。百万回まわすと目的が成就されるとしているが、2月に行われる、世附の百万遍念仏は大数珠を数珠車にかけて勢いよくまわしながら念仏を唱える。この念仏行事のあと獅子舞が演じられ、また鳥刺しの狂言も上演されます。
3月 神楽の湯立と大神楽の獅子舞が結びついたのが仙石原湯立獅子舞です。湯釜の前に獅子が立ち、湯笹(熊笹の束)で熱湯をかきまわし、その湯笹を神前で打合せたり、湯笹の湯花を人々に振りかけたりするのは、全国的にみても例がなく貴重な伝承です。
5月 北條五代歴史と文化の祝典は戦国大名北条氏を称える小田原市最大のお祭りで北条五代歴代城主を模した武者行列、音楽隊、神輿が市中を練り歩き、北條鉄砲衆による発砲演技もあります。
相模の大凧まつりの大凧の魅力は、大きさと題字で、最も大きい凧が8間(14.5メートル)四方で、材料は竹と和紙です。竹で骨組みを作った後、反りを入れ、別に和紙を貼り合わせた複数の大貼りを作り、2文字の漢字を赤と青で書く、いわゆる字凧です。大凧に書かれる題字は、その年の世相を反映したものとなっており、現在は相模原市民から募集するようになっています。
古代の祭りの形を伝えているとされる相模国府祭は六所神社を総社とし他に5社が大磯に集まって行われる合祭で江戸時代には「天下祭り」とも「端午祭り」とも呼ばれていました。六所神社は、源頼朝が富士川に出陣した時に宿泊しとされる古社です。
港と共に発展してきた横浜にとって誕生日とも言うべき6月2日の開港記念日を中心に開催される横浜開港祭はまちづくりと観光の活性化を図るために開催される横浜市最大規模の市民祭で市民参加型の多彩なイベントと花火大会があります。
7月 湘南に夏の訪れを告げる湘南ひらつか七夕まつりは日本有数の七夕まつりです。中心街には約500本、市内全域で約3、000本の七夕飾りが掲出され中には、10mを超える大型飾りもあり、活躍中のスポーツ選手や人気の動物、キャラクターなどの流行り取り入れた飾りも大きな特徴です。パレードやステージイベント、地元グルメなども楽しめます。
浜降祭は茅ヶ崎市寒川町の寒川神社の神輿を中心にして、近在の大小合わせて約40基の神輿が海岸に渡御し、浜降りの禊を行います。関東から東北の太平洋側の海岸では神輿が禊のために浜降りする神事は伝承されているが、この地の浜降祭のように三十を超える神輿が一斉に浜降りする豪壮な祭礼は珍しい例です。
海上渡御の船祭りには真鶴町の貴船まつりがあります。この祭りは、寛平年間(889~897年)、真鶴岬に神霊が降臨されたのを、住民が小舟でお迎えしたという故事にもとずくといわれています。色とりどりの吹き流しや大鳥毛、台傘、提灯などで飾った伝馬船で曳航された二隻の小早船が、湾を横切って貴船神社に神迎えをし、神輿を海に担ぎ込む勇壮な海中渡御があります。
8月 本牧神社の神事にお馬流しがあります。お馬は茅で作った頭部が馬、胴体が亀という作り物です。このお馬を六体作り、満潮時に神船に乗せて沖に漕ぎ出し、お馬を海中に流す。お馬に悪霊をつけて流し厄除けをするという行事です。
9月 鎌倉市御霊神社の面掛行列(御霊神社例大祭)は面をかぶった男達が練り歩く行列による仮面風流です。神輿とともに十種の仮面をつけた者が行列するが、仮面の多くが奇異な面で、舞楽(ぶがく)や田楽(でんがく)の流れをくむものだそうです。
観光行事化していますが、11月の箱根町湯本の箱根大名行列は箱根権現参拝の大名行列を模したもので、昭和初期に構成されたといわれています。旗持、露払を先頭に、毛槍、奥女中、大名駕籠など、総勢170名が湯本温泉郷を練り歩く時代絵巻です。



神奈川県の花はヤマユリ
神奈川県の鳥はカモメ
神奈川県の木はイチョウ